子どもたちはわたしたちの未来です

~かしこい子どもに育てたい~

9月のお知らせ


★8月31~9月1,2日

お泊り保育  新庄村
★9月9日 祖父母参観日
★9月15日 交流会 敬老会    
 
★9月29日

お弁当日 運動会通し            

 
★9月8日            四役会
★9月15日            役員会
★10月7日 運動会
★10月8日 運動会予備日
★10月4日 園児健康診断
★10月10日 避難訓練
★10月30日 はと組  骨密度測定
 
 


保育園創立にあたって

設立者の思い

早期教育はいつの時代も話題に上ります。

でも、本当のかしこさってなんでしょう。かしこさは知識の多さとはちがいます。

 

生きていく上で役立つもののはずですね。

健全な精神と肉体を基礎にして。やる気。発見する力。解決する力。人と力を合わせられる力。

乳幼児期には、そういった力を身につける時代です。

 

うらやす白鳩保育園は思春期を見通した子育てを保護者といっしょにする保育園です。

しっかり食べて、毎日散歩に出かけ、規則正しい生活をします。

0歳でも1歳でも、自分の気持ちを言葉にしてもらって、しっかり受け止めてもらい、

感性や情緒も豊かに育てます。自分十分に育ててもらった子どもは大きくなるにつれて、

相手も同じような気持ちや相手の考えがあることを受け入れらる力がつくのです。

小学校にいっても、社会に出ても、人の気持ちがわかり、相手を大切にしてあげられる―優しさや強さ、日々の保育の中でそんな子どもたちを育てていきたいものです。



白鳩設立の歴史

 

◎白鳩保育園が、1969年、昭和44年4月に作られました。
 
 当時は高度経済成長期の中、宅地開発が進み、共稼ぎ家庭が増え、子どもをあずかっててくれるところがほしいという時代でした。
「ポストの数ほど保育所を」という運動が全国的に広がっていました。
◎初代園長は22年小学校教員をし、3人の子どもを育てながら、働く婦人として教育の仕事をしてきました。
その当時は、保育所はありませんでした。

彼女は子どもを育てながら働くために、親戚のつてを頼り、子守さんにわが子を見てもらって、仕事をしていました。

女性でもあたりまえに仕事をし、子育てもするために保育園が必要だと身をもって感じていました。
  
◎彼女は、戦時中に広島の三原の師範学校(現:広島大学教育学部)を卒業し、19歳から小学校の教師をしていました。

彼女の母も、幼いころに母をなくし、女でも自活できるように教員になっています。

◎終戦の年、彼女は8月6日は6年生の女子を連れて、山へ行き、炭坑で使う坑木の運搬作業をしていました。
空にできたきのこ雲を、子ども達に 「みてごらん、かわった入道雲が出ているよ」と指差します。
子どもたちは「先生、あれは雲じゃあないよ」と言い、離れて町にいる親の身を案じて動揺します。

お国のためにと精一杯に協力し、 日本が負けることなど疑うこともなかった優等生の彼女は 、子ども達に 作業を続けることを強いたそうです。

戦時中のこの時、子ども達の心に寄り添う余裕もなく、教え子に悲しい思いやつらい経験をさせたことを後々まで悔やんだようです。
翌日、広島に新型爆弾が落とされたと知り、勤める小学校にも被ばくしてぼろぼろになった人が大勢運び込まれました。
保育園の名前を、白鳩(平和の象徴)にしたのは、戦争を経験し、平和の大切さを実感したからです。

 

 

◎戦後、京都、東京で教師を続けますが、夫の転勤で東京から岡山に転居しなければならなくなりました。
 教員を辞めたくなかった彼女を、「働く婦人のために保育園作りが必要だろう。そこで子どものために役立ってはどうか。」と、彼女の夫が説得しました。

◎白鳩保育園を作るために、両親や叔母の不動産を処分し、25年間教師をした退職金で土地購入し、それを担保にして借りたお金で園舎を建てて財団法人を作り、保育園をつくりました。
 現在岡山市に私立保育園は44園ありますが、当時まだ20園程でした。
◎そのころは保育は認知も低く、行政が保育に割く財政も今とは比べようもないほど貧しかったのです。
自分の仕事も子育ても、本気でしたい親たちの熱い思いで「行政がしてくれる(園庭整備や暖房や給食の改善)のを待っていたら、私たちの子どもが育ってしまう(まにあわない)。親は一緒に、こどものために力も、資金集めもしよう!」と父母の会の活動が始まりました。
子どものため、保育のために、バザーや行事に取り組みます。

子どもの育ちがおかしいのではーと社会問題になった時代には、子どもや親の生活実態を調べて”白鳩っこ白書”作りに取り組みました。子どもの育ちにはどんなことが必要なのだろう‥と、子どもを真ん中にすえた子育てを一緒に考え、 保育づくりにも力を出してくださったのです。
現在も父母の会は協働の関係にあり、保育の両輪になっているのはこのような歴史があってのことです。
 
◎その後、32年間、地域に根差した保育園、財団法人として運営してきました。
永年、地域へ貢献し、社会的に果たす役割も大きくなりました。
そこで、私的な財団法人でなく、より公共性の高い社会福祉法人にしたのが、2001年のことです。
◎うらやす白鳩保育園はこのような歴史を経て、理念を負った保育園として、浦安の地に2013年4月に開園しました。

 

うらやす白鳩保育園の全職員は設立当初より現代にいたるまで、

たくさんの職員や親が子ども達をどう育てたいかを真剣に考えて、作り続けてきた保育の歴史を大切にしています。
その上で、時代に流されない、時代に応じた保育を作り続けています。

 


〈 設立の意義 〉

① 児童福祉法の精神を尊重する

② 働く(婦)人の立場を尊重する

 

〈 事業目的 〉

日本国憲法に基づく児童福祉法、教育基本法、児童憲章の精神を活かし、民主的で文化的な新しい日本を建設し、世界平和に貢献する社会人として成長するための健全な土台づくりをめざす保育事業である。

※茶色部分は教育基本法の前文

以上、(財団法人 白鳩保育園1969年設立)資料より抜粋

 



あゆみ


 (子どものために社会へ働きかける

 1970

 1回母親集会が開かれます。

その当時、公立高校に入るために中学浪人がいました。

「岡山南部地域に普通科高校がないから、つくってもらおう」と声があがりました。

父母と一緒に2000名近い署名を集めて、

芳泉高校を作りました。

(体力づくりを中心とした保育をはじめる)
197510

 全園でマラソンをはじめます。

出席率が上がったことで、体力づくりに確信をもち、

7つの保育目標」をつくりました。

保育園の裏の土地で畑づくりや日常生活のなかでつける体力づくり。

食器5年間かけて、陶器にかえました。

床のワックスをやめ子どもたちによる雑巾がけを始めました。

 



(ひとりひとりをかけがえのない存在として)

 

1985年ごろ

 方針(子ども中心)を理解して入園しているはずの親がそうなっていない。

保育の現場ではどぶにはまった子どもを自分が汚れることを気にして、助けられない保育士が出て来ました。初代の園長は教師時代に取り入れていた誕生表を思い出します。

が子どもをこの世に産みだした時の思いや、子にかけている気持を共有し、親も職員も揺り動かしながら、一緒に子育てをしています。

お誕生日には、みんなの前で、一人一人のお誕生会をします。

誕生表に書かれた、生まれた日の天気、名前のいわれ、どんな子どもに育ってほしいかという親の思いをみんなに知ってもらいます。「一人一人大事な命を持った大切な子どもです・・」

 


概要

施設名  :社会福祉法人 白鳩福祉会

       うらやす白鳩保育園

住  所 :〒702-8032 

     岡山市南区浦安本町171-1

電  話 : 086-261-5566

F A X  : 086-261-5586

m a i l   :urayasusirobato@apricot.ocn.ne.jp

園  長 : 山木真理子

定  員 : 90名

ク  ラ  ス : 0歳児  ひよこ組

       1歳児   あひる組

       2歳児  うぐいす組

       3歳児  ひばり組

       4歳児  つばめ組

       5歳児  は と組

       各18人程度

 



☆職員体制☆

現在、100名の園児に対して24人の職員

(男性2人・高齢者2人)が在職しています。

EAP(従業員支援プログラム)も導入し、離職はほとんどありません。

2017年度は栄養士をひとり給食室から保育の現場に出して、保育士と一緒に保育の場面で「食育」に取り組めるようにしました。

質の高い保育集団で手厚い保育を行っています。

 

♪ 男性保育士 育児休暇取得 ♪

今年お父さんになった職員のために、育児休暇をとってもらいました。

1週間だけでしたが、これからの仕事にも、家族のためにも役立ててもらえれば、いいですね。

◎学生合同説明会開催!!

2017年8月19日(土)1時よりままかりコンベンションセンター3Fで就職フェスティバルが開催されます。岡山市のいろんな保育園が集まりますので、是非自分に合ったところを見つけてください。


※ 現在、求人は行っていません。

※ 新卒求人(若干名)は

  7月、9月を予定しています。

※ 実習生、ボランティアについては相談ください。担当(田中)